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    • 2011.09.23 Friday
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    幸福の科学事件で噴出した『フライデー』バッシングの危険度   『噂の眞相』1991年12月号

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      噂の真相という雑誌に、大川隆法に関する記述が掲載された。長らく、内部にいたものとして、この記事を改めて読んでみたが正鵠を得ている。いまや、迷走状態にある幸福の科学も、この記事の記載の時点からカルトととしての本質を露呈していたように思う。その意味で、この記事は、大系化して幸福の科学を批判した歴史的に価値有る資料であるといえよう。

      幸福の科学事件で噴出した

      『フライデー』バッシングの危険度  

                   『噂の眞相』1991年12月号  

       講談社『フライデー』VS幸福の科学  今年は台風の当たり年だったが、マスコミ界でもお騒がせ台風が猛威をふるった。いわずと知れた『幸福の科学』旋風だ。  「鰯の頭も信心から」という。天上界の高級霊が大川隆法こと中川隆に入れ替わり立ち替わり降りてくるなどという与太を信じる信じないは人の自由である。

       また、昭和三十一年七月、徳島で父・中川忠義、母・君子の次男として生まれた中川隆なる男が、三十五歳のいい年をして「我は人間ではなーい。神であーる。エルカンターレであーる」(七月十五日東京ドームでの発言)と意味不明の言葉を口走るのも当人の勝手である。

       けれども、幸福の科学に限らず社会的な影響力を持つ宗教団体が存在するとき、その教祖の人となりや教義の中身、組織のあり方などについて、ジャーナリストが取材し報道することも自由である。

       その際問題ありと思えば責任ある批判を加えることも勝手であり、当然の務めである。  世紀末のこの国は、いま宗教ブームという。昨日まで魚屋の親父だった人物が、今日は「我は神なり」と言い出し小教団を組織するといった話が少なくない。それをマスコミがいちいち取り上げるのは大きなお世話だが、それでも現代とは何かを問う真摯な作業とすればそれなりの意義があろう。

       まして幸福の科学のように「来年の七月七日までに一千万人の信者獲得」「今世紀中にすべての日本人を信者にする」と公言する宗教団体であれば、そんな事はマッピラごめん、これを批判的に取り上げようというマスコミ――たとえば雑誌があって当然。

       むろん、馬鹿らしいから放っておくとか、面白そうだから応援してみるという態度もあってよいが。  そこで講談社の写真雑誌『フライデー』八月二十三・三十日合併号は「『神』を名のり『ユートピア』ぶち上げて3千億円献金めざす新興集団の『裏側』」と題して幸福の科学に批判的な記事を掲載した。

       ジャーナリスト早川和廣の署名入り記事で、連続追及と銘打たれ、以後ほぼ毎号の連載が続いたのである。ここまでは特筆すべき事件でもなんでもない。

       ところが、対する幸福の科学側の反応が常軌を逸していた。  まず九月二日の講談社へ数百人規模の抗議デモ。そして同じく二日朝に始まり六日夜まで続いた電話・ファックスによる抗議攻勢である。

       抗議行動をして悪いとはまったく思わないが、抗議ならば早い話便箋一枚を講談社担当役員の前で読み上げ手渡せば済む。幸福の科学もそれはやった。

       だが、抗議書は一枚よりも百枚、千枚とファックスで送り付け、抗議の声は百本、千本の電話で伝えたほうが効果があると思うのは、足し算しかできない単純な発想である。幸福の科学もそれほど単純な連中の集まりではなかろうから、あれは単なるイヤガラセであろう。 

       イヤガラセも度を超すと犯罪を構成する。女性にふられた腹いせに何千回と無言電話をかけた男がたまに捕まるが、発信人なしのファックスも無言電話と変らない。愚劣な作戦を思いついたものである。

       だが、愚劣ながらイヤガラセ効果は絶大だった。講談社の業務が麻痺したことは飽きるほど報じられているが、フライデー編集部や執筆者、およびその周辺が抱いた緊迫感も相当のものだったようだ。 

       「当社に押しかけた抗議デモ、電話・ファックスによるイヤガラセでハッキリした幸福の科学のエキセントリックなやり口から、執筆者早川和廣氏とその家族に万一の事態も想定すべきと判断。早川氏一家には三週間都内のホテルに身を隠すようにお願いしました」(講談社フライデー関係者)  

       まあ、奥さんとしては食事は出てくるわ、掃除洗濯はしなくていいわで案外気楽だったかもしれない。だが早川家には歩き始めたばかりの男の子がいるそうだから、さぞ難儀なホテル暮らしだったろうと推察できる。

       実際には、幸福の科学側は執筆者に対する抗議行動や個人攻撃の類は行わないとの方針だったのか、執筆者の事務所へのファックス送付などはなかった。

       また、編集部がもっとも心配した軽はずみな暴走者による個人攻撃もなかった。しかし、同じく講談社の月刊現代その他で幸福の科学批判を展開している宗教学者、島田裕巳日本女子大助教授の場合には、大学や個人宅に対して電話攻撃があった。フライデーの編集者や執筆者は運がよかっただけなのかもしれない……。

       フライデーも悪いという文化人のコメント  

       さて、“幸福の科学VSフライデー”問題は、互いに相手を訴える訴訟合戦に発展、民事刑事とも出そろって小康状態を迎えている。幸福の科学は講談社ほかに対して謝罪広告と五百万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こし、名誉毀損による告訴も行った。講談社は幸福の科学に二億円の損害賠償を求める訴えを起こし、教団幹部らを住居侵入や威力業務妨害などで告訴している。 

       そして、台風一過のいま何が残ったかといえば「フライデーがいい加減な取材報道をしたのも悪いが、幸福の科学の暴力的な抗議行動も悪い」という喧嘩両成敗のイメージだ。世間一般の受け止め方が、どうやらこの構図のようなのである。

       とくに、テレビのワイドショーその他に登場したいわゆる“文化人”と呼ばれる連中の無責任な発言はおおむねこれであった。テレビではワイドショーの手抜き、時間埋めの手法として、司会者の脇にコメンテーターを配し、話題の切れ目ごとに感想を聞くというスタイルが蔓延している。

       安いギャラでそれに付き合わされ、何か言わなければと急がされてのその場限りの発言に名前を挙げて触れるのは気の毒だが、いい加減な取材と決めつけられたほうはもっと気の毒である。

        「若者と宗教」を取り上げた『朝まで生テレビ』(九月二十七日)に登場した作家の石川好は「フライデーなど写真雑誌はプライバシーを暴くもので、良心を捨てた存在、つまり極道である。極道の存在意義は認めるが、極道が相手を告訴などしてはいけない」(要旨)と乱暴な発言。

       ジャーナリストが公共の福祉という視点から人のプライバシーを暴くことがありうることを忘れている。しかも講談社とフライデーをごっちゃにしている。少なくとも、フライデーなる写真雑誌に何らかの先入観、思い込みがあり、それに基づき発言していると思われ、実際に書かれた記事を検討しての発言でないことは確かだろう。

       同じ番組に出ていた朝日ジャーナル編集長下村満子も「公人、私人と守られるべきプライバシーには幅がある」と語った後、「フライデーの記事のケースはどうなのか」と尋ねられて、「見ていないから何ともいえない」と逃げている。いやしくも雑誌編集長としてパネラーになっているのだから当然予期される質問であろう。

       なぜ問題の記事のチェックぐらいやってから出席しなかったのか。 
       こうした文化人のいい加減な発言を聞いていると(さすがに書かれたものについては少ない)、幸福の科学「講談社=フライデー被害者の会」会長景山民夫が週刊ポスト(十月四日号)で「そもそもの原因はフライデーの記事、そして編集方針にあるということ、これを原点に置いて今回の件は論じられねばならないと思う」と述べた言葉に賛成したくなる。

       これ以外の景山の世迷言にはウンザリするにしても。 

       取材と表現の自由に対する無自覚  騒ぎのきっかけとなったフライデー八月二十三・三十日号の記事で、幸福の科学側が問題としているのは次の二点。 

       第一に、記事で引用されているGLA元幹部の発言が捏造である。第二に、掲載されている大川隆法こと中川隆夫妻および両親の写真がプライバシーの侵害に当たる、というのだ。 

       後者については、特別人をおとしめるような写真とも思われず、四人のうち三人までが教団首脳であるから問題にするには当たらないと思う。第一の点、人生相談室を開いていたというGLA元幹部(文中では実名)が語る証言は以下の通り。 

       「彼がまだ、商社にいるころでした。ぼくのところに、ノイローゼの相談に来ました。『GLAの高橋佳子先生の“真創世記”を読んでいるうちにおかしくなってしまった。自分にはキツネが入っている。どうしたらいいでしょうか』と。分裂症気味で、完全に鬱病状態でした。ノイローゼの人は名前や住所を隠す場合が多いんですが、彼も中川一郎(本名は中川隆)と名のっていました」  

       裁判対策であろうか、現在フライデー編集長元木昌彦も執筆者早川和廣もマスコミの取材には一切応じていない。だが、あるフライデー関係者から次のような証言が得られた。 

       「GLA元幹部の発言引用に要約はあっても捏造はない。あの発言は執筆者の早川氏が電話で二回、合計一時間以上話をしたときのもの。最初の電話は取材申し込みのつもりだったが、紹介者から取材趣旨を聞いていた元幹部が自分から話し始めた。二度目も実名仮名の取り扱いなどを打ち合わせ、近く会いましょうと話している」  

       この種の電話取材の常識からして、また、講談社の自信満々の対応からしても、電話の録音テープが残されていることはまず疑う余地がないだろう。

       記事が出た後GLA元幹部は文化放送(九月四日)、『サンデー毎日』(九月二十二日号)と証言内容を変えているが、金と組織を持つ巨大集団幸福の科学からの圧力で前言を翻したと考えるのが自然だろう。 

       問題は、証言者がある時フライデーに対して引用されているような証言をしたとして、それを病気と推定されうる書き方で掲載してよいのかという点である。弁護士や評論家ならば「病気は守られるべきプライバシーの領域に属する。公表するには公の知る権利を勘案し、くれぐれも慎重であるべきだ」というだろうが、こんな意見はクソの役にも立たない。

       この種の問題に“一般解”など存在せず、当事者がケースバイケースで判断していくしか方法はあるまい。 

       たとえば、幸福の科学にも詳しいジャーナリストの江川紹子は、『創』」(十一月号)でこの問題に触れ、「私だったら、どうするだろう」と自問し「問題は、その証言者が信頼に足る人物だということを、取材者がどの程度確信できるか、ということになるのだろう」と、とりあえず結論づける。

       だがその直後に評論家亀井淳の、「『フライデー』の取材に不十分さがあったことは否めない」との指摘を紹介するあたり、フライデーの記事に必ずしも納得はしていないようだ。 

       亀井淳は記事が具体的でない、裏付け取材もない、精神的な病名を書くなら傍証を取るべきではないかなどと述べて、フライデーは取材不足と判定するのである。

       一見するとこれは確かに正論にみえる。しかし、少なくとも現場には役に立たない。そりゃ一人に聞くより三人に聞いたほうが確実さは増すかもしれない。医師の診断書が出てくれば傍証ともなろう。だが、大川隆法こと中川隆が悩みを持ってどこかの人生相談室に来たと証言できる人物が世の中に何人いるか。ようやく一人捜し出した取材が本当に“不十分”だろうか。

       当人以外に証言者はなく裏付けも傍証もないネタはいくらでもありうると思うが、それは書くべきでないということなのか。ならば「冬期エベレスト無酸素単独登頂」なんて記事はどう書けというのか。この種の問題について当たり前の取材心得で答えようとしても、いい加減な結論しか出てこない。

       それでは、傍観者として高見の見物を決めこむ“文化人”と選ぶところはないであろう。  もちろんフライデーのすべての記事が十分取材を重ねて作られているなどという気はさらさらない。

       だが、今回の騒ぎのきっかけとなった八月二十三・三十日合併号の記事に関しては、世上流布しているフライデーのイメージから想像されているようないい加減なつくりとはいえないのではないか
      ――いい加減と思い込んでいる側に、あまりに根拠が乏しいのではないかということである。 

       幸福の科学旋風は、愚劣な抗議行動によって馬脚を現わし、自らの暴力的な体質を露呈したが、この旋風は似非文化人のいい加減さ、底の浅さをも露呈したといえよう。

       最後に付け加えておきたいのは、講談社ならびにフライデーは事が裁判沙汰になったとはいえもう少しオープンに自らの主張を示すべきだったことだ。講談社という会社は、もともと管理部門に官僚的体質が色濃いが、たけし事件の時テレビに登場したような総務の人間(そのまま小役人していた)でなく、フライデー編集長元木昌彦あたりの現場が前面に出て堂々と主張すべきだった。

       その努力がなかったことが文化人たちのフライデーもいい加減という印象をより深めることになったともいえよう。やはり文化人諸氏も忘れてならないのは言論の自由なき社会の到来という恐怖が一番ではないか……。  〈了〉

      幸福の科学 1991年の真実

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        噂の真相という雑誌に、大川隆法に関する記述が掲載された。長らく、内部にいたものとして、この記事を改めて読んでみたが正鵠を得ている。いまや、迷走状態にある幸福の科学も、この記事の記載の時点からカルトととしての本質を露呈していたように思う。その意味で、この記事は、大系化して幸福の科学を批判した歴史的に価値有る資料であるといえよう。


        講談社『フライデー』と全面戦争の大川隆法

        「幸福の科学」のドグマ度数
                                噂の眞相 1991年11月号 

         とうとう大川隆法率いる「幸福の科学」が講談社発行「フライデー」に対して大々的な抗議行動を開始した。にわか仕立ての「フライデー全国被害者の会」の会長、副会長には同宗教団体の会員でもある作家の景山民夫、女優の小川知子が就任し、狂信的ともいえるアジ演説を展開したことで、マスコミもこぞって報道したことは周知の通り。

         そんな中、野坂昭如、吉田司、田中康夫らが幸福の科学批判を独自に展開。しかしおおかたは高見の見物というのが文化人諸氏のスタンス。

         本誌は既に大川隆法にまつわる精神障害の噂を八月号で指摘ずみだが、今回は大川のベストセラー本そのもの、信者たちのバイブル本に斬り込んでみた。〈編集部〉



          「幸福の科学」の十字軍

         ご存じのとおり、さる九月二日から「幸福の科学」と講談社「フライデー」との間に起こっている一連のゴタゴタは、講談社による提訴で法廷にまで双方からの争議が持ち込まれた。さらに「幸福の科学」側は一五日の横浜アリーナでの大川隆法講演会、題して「希望の革命」において、講談社を筆頭としたマス・メディア全般に対する徹底的な批判と闘争を宣言、景山民夫や小川知子のアジ演説の面白さもあって、注目を集めた。

         本誌でも数回に及ぶこの大川隆法と「幸福の科学」という団体に対するレポートが掲載されてきたが、ここにきていよいよその存在は無視することの出来ない、異様な側面を浮かび上がらせてきたわけだ。
         まずは大川の講演「希望の革命」の内容と現場の様子を紹介することで、彼らのマスコミ観を紹介してみよう。

         当日、横浜アリーナの入り口付近には「講談社・フライデーと係争中につき、会場内外でのインタビューお断り」と書かれた看板が多数立てられ、若手のスタッフがトランシーバー片手にマスコミ関係者のチェックをするという緊迫した状況下で、「フライデー」事件以降、大川ははじめて一般の前に姿を現した。会場内では例によって大川関係の著書やテープが販売されており、女性ボランティアが「大川先生の新刊です! 我を信ぜよ! 我を信ぜよ!」と絶叫し喝采を浴びる。

         講演終了後に急遽行われることとなった「フライデー全国被害者の会」の集いにも関心は強い様子だ。大会場集会趣味がそのまま勢力誇示のプロパガンダと思わせられるのは、決して偏見によるものではなかった。照明が天使と教会のステンドグラスを演壇の背景に映し出すキッチュな舞台に大川が登場する。

         東京ドームでの「御生誕祭」ではエル・カンターレなる異次元人を名乗っていたが、今回はキリストに成り切っていた。そこで彼が一万五百人の聴衆に訴えた“福音”は以下のとおりだ。

         《「最後の誘惑」という映画がある。キリストを冒涜的に描いたとして、ヨーロッパでは上映禁止になった。これこそ民主主義発祥の地であるヨーロッパでの常識というものだ。共産体制が崩壊したのはそこに神がいなかったからだ。そして今、日本にも言論の自由という名目の下、言論機関という名の悪魔が害毒を垂れ流し、我々の理想とするユートピア建設を妨害しようとしている。七〇年代後半からその正体を現した悪魔は政治家を失墜させ大手宗教を攻撃し金融を攻撃し、しかもその言い分に耳を傾けない。今や行政・立法を超える第一権力である。言論が有意義であるのは、絶対的権力に対してであって、自ら権力を極めたとき、それは腐るだけだ。悔い改めよ。私は寛容を説いたが悪魔にまで寛容たれ、とは言っていない。彼らが許しをこうまで徹底的にプロテストせよ。抗議こそ民主主義の原点だ。信仰は闘ってこそ得るものだ。がんばりましょう。」》

         机を叩き鼻水を垂らしての熱弁一時間。この二週間、随分と練ったフシが窺えるマスコミ批判であった。この後、「フライデー全国被害者の会」が行われる。事実経過の説明と原田慎二のよく解らない弾き語りが終わると「フライデー〜」会長の景山民夫が登場。大川を上回りかねない物凄い拍手でその人気振りが窺えた。

         景山が大川そっくりの動作と喋りで「我々を正義漢ぶってと批判する者もいるが、それは違う。我々は正義なんです」

         続いて副会長の小川知子が「のぞき、中傷、スキャンダルを見てこころが豊かになりますか」とアジる。これに応える一万人の呼応ぶり……。

         以上、状況を説明したのは、大川と「幸福の科学」が自分達の信仰をまさしく死守せんと、講談社を頂点とした「言論の自由」の権威に対し徹底的に闘うその意志を表明し、最早あとには引けないところにきていることを明確にさせたからである。大川が「日本の九月革命」と称し、言論の自由よりも信仰の自由を上位に位置付けた以上、なし崩しの事態の終焉は、この宗教の存在理由として許されなくなったからだ。

         大川は自分にすがってくる信者たちを、彼らが望んでいるかどうかは別として、いみじくも「軍団」と呼んだ。彼らは言論機関に対して十字軍を結成したのである(もっともそのシンボルの十字たるや、その先が少々曲がっているようだが……)。




          彼らにとって「言論の自由」とは?

         戦略的な印象を受ける今回の一連の出来事について、例えば会員の一人はこう語る。「なぜ『フライデー』だったか。それ以前にも『幸福の科学』について誹謗中傷するような記事はたくさん出ていたけれど、一番悪質だったのは、やはり『フライデー』だった。今回のことについて『がんばれ!フライデー』という人がいますか?(注・田中康夫は『SPA!』誌上で『フライデー』に対して「踏ん張れ」といっていたが……)明らかにそういう雑誌なんです。日本人なら皆知ってます。今回の抗議活動にしても、不良品を販売した自動車会社に苦情をいうのは当然であるように、デッチ上げの記事に対して抗議しただけ。それを『言論の自由への妨害』とは、マスコミ一流の逃げ口上ですよ」

         「幸福の科学」側の今回の騒動に対応する主張は以上のとおり。特に「不良品〜」や「フライデー頑張れ〜」といった言葉は、関係者なら少なくとも一回は口にするキメ台詞。「幸福の科学」の狙いは、かつてのアグネス・チャンによる抗議で「デイズ・ジャパン」を即時廃刊にした講談社の弱腰の体質を知っての上で自分達の勢力誇示を行いたいところにあるとも言われている。

         「フライデー」はビートたけしの例を挙げるまでも無く、これまでにその取材の強引さ故に問題が多かったのは周知の事実である。八月に始まった問題のシリーズは、他誌が掲載した「幸福の科学」の記事より抜きん出た要素は無かったのにもかかわらず(敢えて一つあるとしたら、それは人生相談の先生の戯言では無く、大川の女房の顔――彼女は教団内で“美の女神”アフロディーテを名乗っている――をさらけ出した点くらいだろう)攻撃対象には絶好だったのだ。

         大川は先の講演会で「マスコミが堕落したのは、左翼思想という唯物論によってしか言論を扱っていないからだ。そんな見方で宗教は論じられない」とする。確かにオウム真理教にまつわる一連の報道などが一種の魔女狩りになっていった背景には、彼らの「出家」という修行形態を反社会的としか理解出来ていないような報道のされ方しかしていなかったのも事実。しかし新興宗教が従来の唯物史観でとらえられない状況の中で、スキャンダルのテーゼ――権力争い、金銭の流れ、下半身と頭の乱れ等々――は本当に通用しなくなってしまったのだろうか。

         彼らが法人の名を名乗り、社会的認知を受けている以上、「信仰の自由」は「言論の自由」と同様のところで機能しているのだということを「こころの問題」は誤魔化してしまっている。ましてや東京ドームを借り切ってお誕生会をやってしまう目立とう精神が旺盛な、人類滅亡を声高に叫ぶ新興宗教団体となれば、多くの人は怖いもの見たさで興味は持つ。当然マスコミも取り上げるし、そこをうまく利用して勢力拡大をした事を考えれば、彼らの批判は媒体を利用するだけ利用して、そのツケは払わないのだから理不尽なものに感じるだろう。

         そして「フライデー」に同一歩調ではなくても、一連の報道が「幸福の科学」に対して批判を繰り返す背景には、祭政一致とファシズムの危険性を常に監視する義務があり、ユートピアだミラクルだと「こころの問題」にすべてを託して納得してしまうような偏狭な世界観に対しては断固とした批判が必要ということだろう。

         大川は皮肉な形で、従来の「紋切り型」宗教報道の欠陥を指摘した。それならばあえて「幸福の科学」の土俵にのり、逆に金銭も権力もセックスも絡まない言葉での「幸福の科学」批判を「噂の真相」流にやってみようではないか。「言論の自由」に対する大川の批判が、少なからず大手マスコミの怠惰を指摘していたからといって、皆一様に悔い改める必要はない。欺瞞は暴かなくてはならない。



          大川著書群の構造を分析

         では、ここで「幸福の科学」についてまず、何が知られるべきなのだろうか。多くの報道の中で今まで触れられていなかった点とは何か。それは「幸福の科学」がここまで急成長した大きな要因となった大川隆法の著書そのものについてである。

         昨年あたりから多くの文化人が「幸福の科学」の吸引力の仕組を知ろうとして、その多くが挫折したという。何が書いてあるのか解らないからである。事実、正面きって批判を展開したのは野坂昭如の『幼稚な文章』という斬り口の類であって、大川が何を訴え、一五〇万と言われる信者たちが何に救いを見いだしているのかが具体的に検証されたことは無かった。

         今回の「フライデー」騒動に関して、「“偉大なる常識人たれ”との教えの結果がこれか」と揶揄されていたように、大体のところ「幸福の科学」の教義とは、先人の格言やら真理といったものを霊界やらノストラダムスやらのオカルトタームで味付けした、如何にも世紀末的なものである、というイメージがある。実際そのような書き方をされると、大川の教えなるものが解ったような気にさせられるところが、彼らの抗議する「マスコミの暴力性」なるものかもしれない。そして大抵の常識人が「一冊読んでポイよ」と関心を絶ってしまった時、「幸福の科学」にまつわる報道が「権力と金」のスキャンダルに偏ってしまう訳だ。

         だがこの問題は、それこそ石にかじりつくつもりで大川の本を十冊読めば、その実簡単に結論が出せる程度のものなのだ。そして、会員のボランティア営業活動により、全国の書店という書店に「大川隆法コーナー」を設置させ、十冊読めば会員資格を得ることができるという、いわば教条流布の役割を果たした一連の「幸福の科学」出版物の批判なしには、この集団の本質を言い当てることは難しいだろう。

         だがしかし、宗教の教義にまで踏み込んで批判する必要がジャーナリズムにあるのか、といった疑問があってもおかしくはない。それでは、東大の学士会会員名簿に大川隆法こと中川隆が如何なる肩書で載っているか、読者はご存じだろうか。「作家」である。昭和五六年法学部卒業生の中に同姓同名でなおかつもの書き職業の人物が二人いるというミラクルは有り得るのか。そして作家である以上、「太陽の法」を筆頭とする大川の大量の著作群はすべて「作品」だったという事になり十分に批判の対象足り得るのである。

         その作品は大きく分類すると、「太陽の法」や「永遠の仏陀」といった仏教にベースをおいたもの、「『幸福になれない』症侯群」や「ノストラダムス戦慄の啓示」といった現代に対する批評性を孕みつつもキワモノ新書本の枠を出ていないもの、そして膨大な数の「雲言集」の三つに分けられる。これらの中に書かれている内容は、それこそ唯物主義の横行する俗世間で生活する者にとっては理解できないような、正直に言うと、どうでもいいような事が書かれている訳である。その内容を堕落した市民に理解できるように整理するのは至難のわざである。ただそこに流れる大川の思想が如何にいい加減なものかは簡単に見て取れる。紙幅の都合上、そのすべてをここに紹介することは出来ないが、大川がデマゴギストと呼ばれて当然の記述がいかに多いか、彼の「霊言集」を中心に見てみよう。



          「霊言集」のとんでもない内容

         大川隆法の「霊言集」は、永遠の仏陀、エル・カンターレなる大川にキリストからカント、果てはベートーベンといった世界の偉人の「高級霊」が取り憑いて、ありがたいお話や「神理」(真理にあらず、「幸福の科学」ではこう言う)を口伝えに読者へとご教授し、時には彼の実父である善川三朗(本名中川忠義、現「幸福の科学」顧問)が問答する、という形式である。

         「太陽の法」には、一九八一年三月二三日に、突如大川の手が鉛筆を握って「イイシラセ、イイシラセ」とひとりでに書き始めた、これが「幸福の科学」のスタートとされており、同年六月にGLAの主宰者だった高橋信次の霊との交信を始めたという。

         「私の話を聞いて、非常におどろいて、即刻、私の郷里からかけつけて来た人がいました。その人とは、現在の善川三朗幸福の科学顧問です。そして、やはり同じ一九八一年六月に、善川三朗顧問の前で、私を通して、イエス・キリストが出現したのです。」

         東京でサラリーマンをやっている息子がいきなり「霊と交信している」など言い出せば、驚いて様子を見に来るのが親の情愛というものだが、何かに取り憑かれた息子と一緒に大騒ぎしてしまった事が、この親子に次々と「霊言集」を世に問わせるきっかけとなった。

         このシリーズに対してよく言われる疑問のひとつとして、「何でキリストやらマホメットが日本語で喋るのか」というものがある。「これら高級霊達が大川隆法の中枢神経を通して……」という「まるで雲を掴むような説明がされているが、勿論、唯物主義者としては納得する訳がない。しかしイタコの口寄せのようなものだ、と簡単に結果づけるので無く、あえて踏み込めば次の二通りの解釈がここにできる。まず、大川の膨大な著作群のほとんどがこれら「テープおこし文体」〜語り口調で書かれたものである事。

         ビートたけしや橋本治のように語り口調を有効に時代批判に利用する手は今では当たり前のやり方だが、大川は言葉のアクチュアリティをそのまま宗教に持ち込んだ。読者にわかりやすい文体になる上、「話す」事によって著者自身もハイな状況になるので、神憑りには絶好の方法だ(評論家の小室直樹も三島由紀夫の霊言をこの方法で出していることを付け加えておこう)。

         そしてもう一つ、霊が降りてくるという事態が、実は大川の頭の中だけで構築された出来事である事を、この「テープおこし文体」はいみじくも露呈させており、そこにおいては古代ヘブライ語も中世ヨーロッパ言語もへったくれも無い、という要素がある。

         「孔子の霊言」に、その様子が記されている。冒頭、孔子は「チュイ・ツイイーアイウイ・ティウーツーワ」と古代中国語(?)で話す。これを大川が日本語に翻訳することで善川との会話が開始される。善川問う「孔子先生ですね」と。子(大川)曰く「私は確かに、今から二千数百年前に中国に生まれた孔子というものです」と。孔子……姓は孔、名は丘、字は仲尼という。ちなみに子とは「有徳の人、一家の学説をたてた人への敬称」という意味で、孔子とは本来「孔先生」という意味になる。古代中国語など喋っている場合ではない。自分に敬称をつける(『論語』では自称する際には丘という名を使っている)厚かましさは流石エル・カンターレといったところか。この例でわかるように、大川は大抵の場合世間で知られている物事のうわっつらだけをすくいとることによって、「偉大なる常識」を説く。

         孔子にしたところで、頭からこうなのだから、当然のことながら『論語』そのものに対しての話が書いてある訳では無く、霊界の話が脈絡無く続くだけである。「本当に理想にしていたものは……神の国の地上実現……。ところがやっぱり『鬼神乱神を説かず』というような時代であったために……そういうことを直接言えなかった」『鬼神〜』そんな言葉があるのか。それを言うなら『怪力乱神を語らず』だ。そういう事を話すと世の中乱れるよ、との教えは霊界には(大川の頭の中にも)無いらしい。

          過去の偉人のネーム・バリューとそれらに対する教科書的知識に頼っての霊言集は、大川がサラリーマン時代にやっていた、本に線を引きながらという怪しげな速読法の賜物であろうか。自分勝手な解釈のみで世界の構造を語ってしまう。この偏狭さこそが、これだけの「幸福の科学」バッシングを招いた原因であるのだろう。

         「ピカソ霊示集」は一種の芸術論として読むことのできる霊言集の中でも毛色の変わった一冊。ここで大川に取り憑いた高級霊はピカソを筆頭にゴッホやらベートーベンやら無茶苦茶な人脈である。はじめにピカソの霊が降り、あの「ゲルニカ」に代表される作品群を解説する。「よく観てごらんなさい、三次元の絵でもなくなっています。もう、これは四次元、五次元の絵を描いているはずです。よく観てごらんなさい。三次元ではない世界です。」ご存じのとおり、ピカソのよく解らないとされる絵は、二次元の世界で如何に三次元(つまり立体)を構成するか、という試みのもと描かれたものである。これがいきなり「見てみろ、これは三次元ではない、四次元だ」と言われても納得出来ないのである。しかも、きちんと論旨があっての四次元ならまだしも、ピカソが立体派の創作に大きく影響されたといわれる、アフリカのプリミティブ・アートについては一言もこの「高級霊」は喋らない。

         手前勝手な解釈による雲言は止まるところを知らず、ついには紫式部まで口寄せしてしまう。「卑弥呼の霞言」に収録されている「紫式部の霊訓(一、二)」は、大川の勝手な世界観がついにあの世にまで及んだという、噴飯ものの代表作。ここに記されている「あの世」では、魂は一戸建ての住宅に住み、感謝の念が通貨となり魚屋のおやじは「感謝の念」の貯蓄に忙しい。テレビでは霊界ニュースが放映され、紫式部はふだんはワンピースで生活しているという。こんな事で「本当か」と目くじらたてても仕方ないが、やはりここにも史実の誤認が見られる。例えば清少納言と霊界でまだ交友関係が続いている、とあるが、この二人は自分の仕えていた主人の政治的対立によって犬猿の仲であり、『紫式部日記』では清少納言の猛烈な悪口が書かれていたことは、四次元はおろかどこか手の届かないところへ飛んでいってしまっている。一戸建ての家やワンピースといった、具体的なイメージによって、荒唐無稽な「霊界」観をスムースに読者に説明するのは、大川の「語り口調」の長所であり、それを十分にフォローできない知識の欠如が、「幸福の科学」イコールインチキ宗教というレッテルにつながるのだった。



          「霊言集」に見られる大川の宗教観

         大川は講演会で見せるエキセントリックな表情の半面、「文藝春秋」でのインタビューでは「宗教にも経営技術が必要」との旨を語り、その戦略性のユニークさは注目されるところであった。そしてメディアと宗教の一致という興味深い現象を世紀末ニッポンに実現せしめた。

         大川は先の対講談社講演会でこう言った。「マスコミが見逃していることをここに三点挙げたい。一つには今や宗教こそがマス・メディアなのだ。二つ目には宗教こそが民主主義だ。そして三つ目には時代が変わったのだ。宗教観なしに言論は使えない」

         大川は仏陀の生まれ変わりを自任するくらいだから、当然信仰対象は仏様、ということになる。その一方でキリストだアラーだと、既成の大宗教のドグマも巧みに流用する。この切り換えの早さがまた悪賢い印象を生む。

         実際のところ、大川が宗教に対してどのように考えているのかを知るために、「霊言集」中の新興宗教教祖によるものを読んでみる。このシリーズの中で一番多く出版されているのは、訴訟問題まで引き起こしたGLA主宰者高橋信次のシリーズである。大川がGLAと高橋に一時傾倒していたのは有名な話だが、ここに登場する高橋はノリの軽い変な奴以外の何者でもない。

         「高橋信次霊言集」の冒頭二行で、かつての高橋を知る者はそのまやかしを見破ったという。如何にも教祖らしく「大川隆法」と呼び捨てにして登場する高橋(の霊?)は、何度も呼び出されるうちに、「大川さん」とへりくだった言い方に口調が変わってくる。生前の高橋はぞんざいな口の利き方をせず、自分の会社の経営をほったらかしにしてまでも信仰活動に入れ込んでいたとされる人物で、女性の会員が多かったのも、変に偉ぶらなかったその姿勢に好感が持たれたから、と言われている。何千年も前の仏様ならいざ知らず、故人のことをよく知っている者が多い今では通用しないディテールである。

         また「高橋信次のUFOと宇宙」では、こんなくだりがある。「銀河の中でM27と呼ばれている星、それからM36とよばれてる星があるんですね。この二つ、Mっていうのはね、これはメシアのMです、ね。」天文用語でこのMというのは星の名を指すのでなく、星雲や星座の名前を表すのだが。どうやら大川にはカリスマに対する変な誤解があるらしい。

         「出口王仁三郎雲示集」に登場する出口王仁三郎は、それこそ漫画に登場するインチキ教祖さながらの親爺だ。彼の名前に託して、大川は自分の欲望とその立場の危うさを漏らしているようだ。「まあ、谷口雅春(出口の弟子で後に『生長の家』教祖となる)などは、表のええとこなどに行きよって、まあ、おもしろくないんじゃけれども……現在は、やつのほうが、うまいこと、文章中心に法を説いて、表に帰ったんじゃからわしはしょうがない。」

         出口王仁三郎は戦前の新興宗教団体「大本教」のリーダーで、それこそ現在の大川以上の破天荒さを持って活動し、国家反逆罪によって弾圧される運命を辿った。大川としても他人事ではないだろう。ましてやその著書「霊界物語」は当時の国家神道に対する強烈な批判でもあった。その出口が語る「霊言」は、天狗や仙人といったもの以外はやたらと女の話ばかりで、田舎者が明日デートでズボンにアイロンをかけるとか、あの世の女のオッパイは大変よろしいとかばかりが目につく。カリスマ、イコール性豪のような先入観がある。ましてや先に挙げた例では、弟子や後継者を信用していない感じを受けざるを得ない。

         大川の宗教観は成程、仏教の「天上天下唯我独尊」に起因している。自分の頭文字をシンボルとするあたり、集団に対する不信感の表れとも見て取れる。

         「幸福の科学」ウオッチャーの一人はこう語る。「大川の宗教は『愛』を説き『幸福』を説きます。しかし大川自身にとって『愛』は無い。彼が求めているのは宗教的な運動なんです。だから『キツネ憑き』とか言われるのが認められない。彼の著書に書かれている事は一見平易でその実解らないのは、『幸福の科学』の会員にしたって同じですよ。こちらの批判に対して『本を読めば解る』とは答えるが、その内容についてきちんと説明できる人は少ない。それというのも大川が『愛』を持って本を書いていないからです。」

         最後にもう一つ、大川の勝手な理屈の揚げ足取りを、先日の講演会からやらせてもらう。「マスコミは私のことをまるでヒットラーのようだ、ファシズムだと言う。しかしヒットラーが愛を説きましたか。反省を説きましたか。神の国の実現を説きましたか」

         ヒットラーは、全部を説いた。ゲルマン民族の優秀性を基礎に民族の純潔結婚を奨励し、ヨーロッパ経済の寄生虫としてユダヤ人に反省を強制した。そしてゲルマン神話の世界を実現するためポーランドに侵攻した。ひょっとしたら、あそこで見られた演説は「ヒットラーの霊言」だったのだろうか。実際、大川の教義を貫く民族至上主義、つまり、こうして偉人の霊が大川に寄って来るのは日本人の魂が高度に発達しているからだ、中国、ロシア、アフリカに生まれる人間の魂は未熟だ、といったものや、「ノストラダムス〜」で書かれた「朝鮮は日本の端女になる」といった思想は、時代が変わったからこそ、狂気として撃たねばならない。実際、会員の中にも横浜アリーナの大川を「怖い」「何か違う」と感じた者が少なからずいる。盲信に疑問を抱かれれば、「裸の王様」はオシマイだ。

         紙幅が尽きたので、最後に一つ、講談社へのファックス攻撃を予言したような文章が「太陽の法」に載っていたので、それを紹介して結論にかえたい。「ラブレターを書きつづけて、半年後、やっと便せん一枚だけ返事がきました。それをもって、二階にあがる階段の途中で、太陽の光にすけて見えるその手紙の薄さに落胆しました。私は、彼女へのラブレターを、小包にして送っていたのです。」こちらとしてもこれ以上「幸福の科学」からのラブレターは御免被りたい。 〈敬称略〉